cover interview 友利新『オモテもウラも全部ワタシ。』
2018.12.01
できるできないじゃない 「やりたいから、やる」
——友利先生の子ども時代は?
世間的にはお嬢様っぽいイメージがあると思うんですが、ちょっとヤンチャな感じでした。こんなこと言ったら宮古島の人に怒られるかもしれないですけど、冷静に考えて宮古ですよ(笑)? そんなお嬢様、いるわけないじゃないですか! 私、本当に皆さんが思っているような人ではないんです。生粋の沖縄人なので面白いことが大好きで、自分の手は汚さないけど(笑)、楽しそうな場所には必ずいるような子でしたね。
—— 医師を志したキッカケは?
一番の理由は、中学校三年生の時に子宮内膜症になったことです。今はそういう薬は使わないですが、当時の治療では薬の副作用で太り、肌もボロボロになっていきました。今思えば恐ろしいことをしたと思いますけど、それが嫌で一度治療をやめてしまった時期があったんです。思春期の私にとっては、将来子どもが産めるかどうかよりも今の自分の容姿の変貌の方が重要で、子どもなんていらないから自分を元に戻して欲しいという気持ちが強くて。制服で産婦人科に通うことへも少し抵抗がありました。薬の影響で太った私は食事を摂るのが嫌になり、過度なダイエットで体重計の数字がドンドン下がることに楽しみを覚えていきました。宮古島と那覇とで離れていましたが、その痩せ方を見た母がとても心配してある先生のところに連れて行ってくれて。その先生は普通の内科や小児科の先生だったと思うんですけど、私の話をとても真剣に聞いてくれました。治療ではなく、ただただ気持ちを受け止めてくれたんです。それから病気ともう一度向き合うことになったのですが、私は病気や命に直接関わることではなくても、生活に密接した部分をお医者さんは治してくれるんだ、と知って。それが高校三年生の時。それからは猛勉強です! 若いっていいですよね(笑)。今であればそんな時期からじゃ無謀だからってやめちゃうかもしれないですけど、あの時はやりたいからやる、みたいな。びっくりするくらい根拠のない自信があったんですよ。
憧れの東京でひたすら勉強
大学と病院を往復した8年
——東京へ進学することへの不安は?
東京には小さい頃から強い憧れがあって、大学選びは東京一本でした。全然怖くも寂しくも不安もなかった。やった! 東京ライフだ! って感じで。ところが、入学時はまったく不安はなかったのに、入ってみるとそりゃもう、周りはみんな頭が良いわけです。私、一年生の最初の試験で100人中97位だったんですよね。正直ビックリしましたし、ショックでした。それからは試験一ヶ月前になれば毎日図書館や自習室を使って勉強して。特に六年生になってからは、国家試験までひたすら試験をこなしながら勉強だけの日々。大学も住まいも新宿でしたが、歩いていける新宿伊勢丹が遠い遠い(笑)。でも、たまに新宿駅まで歩いて大好きな伊勢丹に行く。何も買うわけではないけど一周して帰るとか、雑誌や本が発売日に店頭に並んでいるとか、それだけで東京を感じていました。今思えば、何て純真な子だったのか…。やっとの事で国家試験に受かって医師になり、大学病院での研修医生活が始まりましたが、講義室に行かなくなった代わりに今度は医局通い。結局8年間ひたすら大学と家とを往復する日々でした。
こんなに怒られたことない!
大きな壁と明確な目標
——念願の医師生活のスタートは?
研修医一年目は、本当に大きな壁でした。今まで教科書を覚えていれば大丈夫だったものが、何も通用しないんです。とにかく、毎日毎日ひたすら怒られる。人生でこんなに怒られたことない!ってくらい。もちろん何もできない私が悪いんですけど、命を預かる現場ですから、ペーペーの医者には看護師さんのアタリも結構キツめで(苦笑)。特に救急時は、ベテランの看護師さんの方が俄然戦力になります。看護師さんに「先生、医者呼んできてくれる?」と言われたり、名前も呼んでもらえなかったり。一年程経って「友利先生、それ私がやっておきますよ」と声をかけてもらった時に、ようやく認めてもらえたんだと思います。そうやって鍛えられた後、私は病気の人だけではなくて病気になる前の人も診ていきたいと考えて、生活習慣病を扱う糖尿病センターに勤務するため内科を選択しました。私が目指していた医者に、当時は一番近いと思ったんです。すると、糖尿病の患者さんは皮膚疾患を併発することが多く、皮膚科と治療の連携をすることが多くありました。だんだんと世の中に美容皮膚科とかドクターズコスメとかいう単語が浸透してきて、私が目指していたところはココだ!って。すぐに先輩に相談して皮膚科の教授を紹介してもらって…。正直、前代未聞ですよ。まだ内科医になって2〜3年の新人が、すごく偉い先生によくもまぁいけしゃあしゃあと「美容がやりたいんです」なんて言いに行ったなと(笑)。モノを知らないって怖いですよね。受け入れてくれた先生方には本当に感謝しています。
大切なのは正しいことを正しく分かりやすく伝えること
——医師とメディアの仕事の 共通点は?
共通点は人が相手だということ。クリニックでは一人ひとりの患者さんに、メディアではその媒体を通してその先にいる人に、私の知識を分かりやすく伝える。正しいことを正しく分かりやすくというのが私のモットーです。
逆に違いは、医師というのはできて当たり前で、褒められることは絶対ないということ。毎日しっかり業務をこなしていくのが医師の仕事です。でも、メディアだとすごいですね! とか言われるんですよ。今でもそれは慣れない部分ですね(苦笑)。
医者っていっぱい種類があると思うんです。ゴッドハンドと呼ばれるような手を持つ外科医や、薬の開発で世界中の人に貢献する研究医とか本当にいる。でも、私はそんな天才じゃない。今の私が唯一できることは、皆さんに正しいことをメディアを通して発信すること。それは自信を持ってやらせてもらっています。でも、もし生まれ変わってもう一度医者になったら、今度はゴッドハンドになりたいなって思うときも(笑)。私は命を直接救うわけではないけれど、誰かの生活、人生を明るくすることができたなら、とても嬉しいです。一人でもそういう人がいてくれるように、これからもブレずに頑張っていきたいと思います。
何とかならないことは 自分にとって必要のないこと
——2歳の男の子、2歳の女の子の母でもある友利先生。
子どもが産まれる前と後で変わったことは?
生活スタイルがすべて変わりました。子どもが産まれるまでの私は、土日に仕事を休んだことなんてほとんどありませんでした。10の仕事を全力で10こなしていたんです。でも今はできない。だから自分がやりたいことよりも、何ができるのかを考えるようになりました。それから、周りと自分を比較しなくなったかな。今は今あることをやるだけです。今まで何とかなってきているし、何とかならないことは自分にとってきっと必要のないことだったんだと思っているので。
子育てでイライラすることはもちろんあります。ですが職業柄、いろんな患者さんと接してきましたので…。私も仙人じゃないので、正直、患者さんにイライラすることもありますよ(笑)。でも誰もがそうだと思いますが、職場でイライラを全面に出す人ってなかなかいないですよね。そういう考え方もあるんだなって受け止める。だから子どもにもイライラしてもしょうがないって自分に言い聞かすんです。まぁ、結局のところなんだかんだ子どもは可愛いですからね!
ごめんね、じゃなくて ありがとう、を伝えたい
——子育てで大切にしていることは?
大切にしていることは、絶対に仕事に行く時に「ごめんね」って言わないこと。主人がよく言うんです。仕事を理由にごめんねって言うと、仕事=悪いことって子どもが感じるよって。ママは悪いことをしているんじゃなくて、仕事をするのは当たり前のこと。だからいつも、今日もママは頑張ってくるねって言って出かけるようにしています。そして帰ってきた時も、第一声はごめんねじゃなくて「今日もいい子にしててくれてありがとうね」って言うようにしています。あとは、子どもが何か話しかけてきたら、できる限りその場で話を聞くようにしています。いつも一緒にいられるわけじゃないので、今だけだからって自分の都合には言い聞かせて。私は一人目を産んだ時も3ヶ月くらいで職場復帰したんです。クリニックに託児所があったので。家にいるよりも、見てくれる人がいるし復帰した方がいい。可愛すぎて一年間は一緒にいたいっていうママを、私は神だと思ってますよ!可愛いですけどたまに離れたいのが本音(笑)。私はそうすることで、少しだけ余裕を持って子どもと向き合えているのかも。だから、子どもといる時は、できるだけ携帯は触らないようにしています。
——働くお母さんにメッセージを!
今のお母さんってとっても真面目で、完璧な母親を目指している人が多いのかなって思います。私の周りもキラキラしているように見える人はたくさんいますが、実は職業柄そう見せているだけってことも多いんですよ。SNSはキラキラした部分を切り取っているんです。私も料理をした時だけ、可愛い服を着た時だけアップする。毎日そんな生活をしているわけじゃないんです。だからもし誰かを羨ましいと感じたら、隣のキラキラもそんなモノだって思ってみてください。そして、いろんな人を頼りましょうよ! 私もシッターさんやお義母さんなど周りのサポートにとても助けてもらっています。保育園や学童もそう。産んだのは私だけど、育ての親はたくさんいる。それでいいと思います。全部自分では絶対にできないし、それは決して悪いことではないから。一緒に頑張りましょう!